【横山験也のちょっと一休み】№.3358

『方丈記』は、どこに行ったのだろうかと、再度書棚を探したら、本来あるべき棚にありました。
「ここにあったのか」と思いつつ、東京への道中で読み返しました。

鴨長明はどんどん落ちぶれていき、最後は四畳半くらいの家に住みます。
そこで、ある種の悟りを開いたようにも読めるのですが、どうにも、そうではなさそうです。

『吾妻鏡』に長明が登場したのは、『方丈記』を記した翌年です。56歳ぐらいです。
そこには、3代将軍への謁見を何度も求めていると記され、また、法華堂で頼朝をしのんで和歌を柱に記したとあります。
その和歌ですが、どうにも風刺的で、何か言いたげで、私にはいただけません。

『吾妻鏡』を紹介してくれた檜佐さんが、貴志先生から「出家したとはいっても現世に未練がかなりあったように見えます」と教わったことを記してくれました。
柱に記した和歌にもそれが表れているように感じています。

和歌と言えば、『吾妻鏡』では、3代将軍になってから、ちらりと登場しています。
鴨長明の数ページ後には、朝業(ともなり)の和歌が載っています。
3代将軍が朝業のために、梅の花を一枝とってくれたことを歌った歌です。
「うれしさも匂(にほ)ひも袖に余りけりわがためにをれる梅の初花」
こういう和歌には、ホッとするものがあります。

私の吾妻鏡読書はまだまだ続きます。