【横山験也のちょっと一休み】№.3388
『吾妻鏡』を、非常にのんびりとしたスピードで、少しずつ読み進めています。
今、3巻の後半なのですが、3代将軍は学校でまなんだ通り、八幡宮からの帰りに石段で親の仇として討たれました。
その後、政子の政治的登場が増え、ここも、学生の時に学んだ通りに展開しています。
そうして、すぐに、承久の乱の勃発となりました。
時代を感じるのは、実朝が討たれたのが1月27日。
その知らせが京に届いたのが2月9日。
10日以上もかかっているので、しばらくは隠していたのかとも思いましたが、このぐらいのスピード感が普通だったのだろうなと思います。
暗殺された日の夜は、雪が降りはじめ、2尺も積もりました。
実朝は酉の刻(夕方5時~7時)に八幡宮に向かったので、雪の降りはじめに出立したのだろうと思います。
この時の路地の警護は1000騎と記されています。
そうして、夜になって帰る時に、襲われるわけです。
襲った公卿は、雪が降る前からジッと石段の際で待っていたのでしょうか。そうだとしたら、手足がかじかんで動かないと思えますが、当時の人には、雪ごときの寒さは耐えられたのかもしれません。
非常に勉強になったのは、承久の乱が始まったときの、鎌倉の動きです。
リーダーはどう対応すべきかが、側近の言葉に表現されています。
「しかり」と膝を打った次第です。
『吾妻鏡』3巻も、あと100ページ余りとなりました。その先を読むかどうか、微妙です。
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