【横山験也のちょっと一休み】№.3315

ゆっくり読んでいる『吾妻鏡』。
ついに義経が登場しました。

義経の登場に感動したのですが、それ以上に、その段落に記されている漢字に関心度がアップでした。
「砌」にも感動したのですが、「彳」に仰天です。
素人ですので、「ぎょうにんべん」が単一の漢字になっているという感覚になります。
こういう漢字をどこかで見た覚えはあります。難漢字などの本だったと思いますが、吾妻鏡のような文章中に使われているところに遭遇したことはありません。

この「彳」を皆さん、読めますか。
貴志先生の『吾妻鏡』には、ルビが振ってありました。
「たたず・み」と読みます。
若者が一人、旅館の軒下に立っていたということです。それが義経なのです。その旅館には頼朝がいて、謁見を申し出ています。
こういう状態で「彳み」です。
味わい深いです。

字通で「彳」を調べたら、「交叉路を示す行の左半。」とありました。
行くの半分ですから、ただ立っているのではなく、建物の中に行くに行けなくて、やむなく立っているのです。
義経の心境が伝わってきますね。
今すぐにでも「兄者!」と中に駆け込み、近寄り手を握りしめたのいでしょうが、それができない状況も感じ取れてきます。
すぐ後の感涙も想像される、実に素晴らしい言葉遣いです。

もし、「立っていた」と現代語に直した本を読んでいたら、これを味わうこともできずに、話の筋を追う読みで進んだでしょうね。

この段落では、さらに感動的な漢字がありました。
それは、今度書きます。

関連記事: