【横山験也のちょっと一休み】№.3330

吾妻鏡』を読んでいるのですが、予想以上に面白いです。

頼朝は征夷大将軍になっています。
曽我兄弟の仇討も終わっている1195年を今読んでいるのですが、なんと頼朝は歯痛に悩まされています。
それも2回!(この先も出てくるかもしれませんが、今の所2回です)

1回目は8月21日。
「将軍家いささか御不例。御歯の労(いたわり)と云々。」とあります。
「不例(ふれい)」というのは、高貴な人の病気のことで、それが歯の病気だということです。
そこで、家来が京都へ行き、良薬を調達してきます。

ふと思うのですが、頼朝がその薬を使うのは何日後でしょうか。
辛いだろうなと思います。

2回目は9月12日。「歯の御労(いたわり)再発すと云々」とあります。
その4日後、京都の医者に良薬は無いかと飛脚が走ります。

歯が痛くなって、飛脚を飛ばしたのが4日後。
あと何日待てば薬が届くのかと思うと、鎌倉時代の歯痛は私には耐えがたいことと思えています。

何かの葉っぱを煎じて歯に詰めるということもあったのだろうと思いますが、良薬は京都に行かないと無かったです。
ということは、文化的には鎌倉はかなり遅れていたように思えます。
住むならやはり、都でしょうか。

こういうエピソードは、元小学校の教員としてはグッときます。
6年生を担任しているときに、「先生、歯が痛くなってきました」という子がいたら、絶好のチャンスともなります。
「頼朝と一緒だ!」と励ますことができます。
それで痛みが和らぐわけではないですが、その後、「頼朝君」と数回呼んであげれば、ニコニコするでしょうね。

そうそう、曽我兄弟の仇討の前に、大河兼任(おおからわかねとう)の仇討が出てきます。
こっちの方が私には魅力的でした。
これについても、書けるときに書いてみたいと思っています。

貴志先生の『吾妻鏡』、面白いです。

関連記事: