『小学』には,なかなかいい話が載っています。
諸生(しょせい)小(すこ)しく過差(かさ)有れば,
先生端坐(たんざ)し,召して與(とも)に相対し,
終日竟夕(きょうせき),之を語らず。
諸生恐懼(きょうく)畏服(いふく)すれば,
先生方(はじ)めて略(ほぼ)辞色(じしょく)を降(くだ)す。(p368)
生徒があやまちを起こしました。
そのあやまちに気がついた先生は,きちんと座って生徒を呼び出し,相対します。先生はそのままじっと黙っています。
生徒はとうとう恐れかしこまり,あやまちを話し始めます。
その時,先生は初めて顔色を和らげ,言葉を優しくして教え諭しました。
このような導き,小学校の先生もしています。
「先生に言わなければならないことがありますね。」など,子どもが自分から言い出すように流れを作る導きです。
直接,怒られてはいないのですが,いつもと違う雰囲気に,子どもも何か察します。
しまった!悪いことをしてしまった!
自然と,自分がしたあやまちを反省し,先生に話し始めます。
大事な点は,反省です。反省は瞬間的には行えません。それなりに時間を要します。ですので,待つことがポイントとなります。
あやまちを自覚させることは,心の立ち位置を,邪悪から正義・善へと移動させることです。
この心の移動を少し視覚的に見えるようにすると,この導きの意味の伝わりが良くなります。
心は何かの上に乗りやすいと思ってください。私は舟にたとえることが好きなので,とりあえず,心は舟に乗っていると思っています。
また,心はとても大きな自己愛の力を持っています。ですので,いつでも乗った舟を正しいと思ってしまいます。視覚的に言えば,心は色に染まりやすいのです。
悪い舟に乗れば,悪いことを心は正しいと思うようになります。迷惑をかけた相手が正しくても,自動的に,「あいつが悪い」と判断してしまいます。
反省させて導くというのは,心の舟の乗り換えを自分でできるようにする力を付ける学習なのです。
ですので,生徒が自分のやったことを悪いことと反省し,それを言葉にしたら,先生はにっこりするわけです。
一番難しい,心の乗り換えが出来たので,それを喜ぶのです。
時間があったら,この話の先生は,きっと次のような話をしたと思います。
もし,悪い舟に乗り続けていたら,その先どうなっていくか。
最悪コースのシナリオを話し,そうならなくてすんだことを喜んだことと思います。
また,良い舟に乗り換えた今,それ自体が親孝行であり,社会正義であり,先生も一緒だと話したのではないかと思います。
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