分数がわかるということは,それは,お母さんの気持ちがわかるということなのです。
2分の1とか,3分の2とか,こういう分数を2年生,3年生で学びます。
算数の時間ですので,分数を数として学ぶので,どこをどう考えてもお母さんの気持ちとは縁遠いです。
でも,ちょっと視点をずらして,家族・身内という視点で分数を見てみると,お母さんが登場せずにはいられなくなります。
ピザを家族で食べるとしましょう。
みんなで平等にわけるために,お母さんは包丁を入れます。
テーブルの上にはカットされたピザがあるわけです。
子ども達はカットピザを食べつつ,「ボクは2枚食べた」などと思うわけです。
このとき,分数で「8分の2食べた」とは思いません。
意識に入ってきているのは,分けられた後のピザ,つまり,分子状態のピザなのです。
1つ,2つと数えることができます。
この数え方はとっても簡単なので,分けてもらう方は,どうしても分子だけを見つづける世界にとどまるようになります。
ところが,お母さんは分子だけを見るというわけにはいきません。
お母さんにとって一番大切なことは,平等に分けることなのです。
自然と分母を見ています。
家族4人なんだから,4等分でもいいし,食べやすさを考慮して8等分にしましょう,などと思っているのです。
その上で,一人一人が何枚になるかも見ています。
お母さんという立ち位置は分母も分子も視野に入れているのです。
分配する側と,分配される側。
分配される側は,いつまでたっても整数で考え続ける立場なのです。
ところが,分配をする側に回ると,必然的に分母を意識せざるを得なくなります。
分数がわかるということは,お母さんの立ち位置である分配する側に立って物事を考える基礎作りにもなっているのです。
だからなのか,お母さんの立ち位置で分ける数の方を分母といい,分けてもらう側の位置で見る方を分子と言います。
実に見事な言い回しです。
分母・分子という言葉は,元は中国語です。
きっと古い時代の中国の家族には,平等に分けることが生活原則としてあったのでしょうね。
平和な雰囲気を感じています。
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