セミナーで出たもう一つの質問。
それは、
道徳は何を教えるのか、と親に聞かれたら、どう答えるか。
というような内容でした。
「道徳」だから、「徳のある道」と答えても良いのですが、これはやや漫然としています。
「徳」という言葉に、それほど強い納得感がありません。
具体がへばりついている感覚が無いからです。
道徳を教えている先生には、この答えでも十分良い感じとなります。
先生の中に道徳の具体例が入っているからです。
ですので、こういうやや漠とした答えでも、それなりに納得してもらえます。
しかし、この質問は聞き手が保護者となっています。
保護者は道徳を教えるという、道徳への強い関わりを持っていません。
分かりやすく、納得してもらえるような内容が必要です。
そう思い、簡単な具体例で、道徳の特徴が見えてくるものとして、私は、「花子と次郎の話」をしました。
この事例で「算数脳」「国語脳」「道徳脳」の違いを伝え、後日、「道徳読み」で授業を展開すれば、納得度は非常に高いだろうと思います。
これが、雑ぱくながらの質疑応答の一こまです。
ありがたいなと思ったのは、しばらくして私の至らなさに気づくことができたのです。
道徳は何の勉強をするのですか。
というような問いに対して、相手に応じて答えられるように、頭の中の道徳を整理する必要があるということを感じ取らせてくれたのです。
例えば、先生向け、親や大人向け、子供向け。
同時に、道徳の質問に答える自分の答え方も感じ取れました。
「私はこう答えます」と自分の力が高いことを示そうとすると、解答が優れていても、その根底が怪しくなってきます。
相手の道徳性が高まるように、どちらかといういうと「あっちの方向ですよ」と指さすような答え方ができると、最高なのだがと思いました。「指南」ですね。
いろいろと思いを巡らせてくれる質問で、ありがたい思いになりました。
教室の道徳性も、じんわりと高めて行けたら。『日めくり 教室論語』をぜひ教卓に置いてみてください。