【横山験也のちょっと一休み】№.2450

■ 道徳と国語の違い ■

道徳と国語は、教材文を読んで学習していくところがよく似ています。
ですので、国語で鍛えた授業のやり方を道徳にも・・・となるのも、よくわかります。

国語と道徳の大きな違いは何かと言うと、「マイナスの有無」でしょうね。
国語は学んでいても学習したことがマイナスになることはありません。
基本が知識だからです。

ところが、道徳は学んでもマイナスになることがあります。
道徳で良い答えを言っても、その後、ついカッとなって…ということが起こります。
道徳は知識も学びますが、基本は心の学習です。
知識に比べ、心は変化しやすいのです。

「変化」という視点で、知徳体をみると、道徳の特殊性が分かります。
一番変化しないのが体です。
「筋肉は裏切らない」といった有名なフレーズがあるほどです。
学んだら学んだように伸びていきます。

知識も変化しにくいのですが、うろ覚え段階では間違えてしまうこともあります。
学んだはずなのに、変化してしまったととらえることができます。
考え方も変わりやすいですが、悪い方向(マイナス)に変化することはそうそうありません。

心は、体や知に比べると、つかみどころがないほど変化しやすいです。
「気が立つ」とか「夢中になる」などでわかるように、心は、上の方に上昇したり、どこかへ行ってしまったりするものとみなされています。
心には本来あるべき場所があるのですが、何かあるとそこから離れてしまいやすいのです。

そういう動きやすい心を相手にする道徳ですから、どうしても自分で自分の心を少しでもコントロールできるようにしていくことが大切な学習となります。
とくに、マイナスの方向に変化しないように、変化してもすぐに戻せるように。
そんなところへも対応していくのが道徳です。

そのためのいい方法の一つが、「人の振り見て我が振り直せ」です。
良い人だろうが、悪い人だろうが、その言動を見て、自分を直していけるような学習をすることです。
「道徳読み」というのは、そういう学習です。

もし、心が変動しにくいのなら、こういった学習は必要ありません。知識と同様に積み重ねていけばいいのです。
でも、変化しやすいのが心の大きな特徴です。
自分から道徳としてどうなのかと考え判断する練習を積み重ねていくことで、マイナスへの変化に対応する底力を付けて行くのです。

道徳を勉強する先生には、論語をおすすめしています。

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