「道徳って,何ですか」と問われたら,皆さんはどうお答えになるでしょうか。
今日は,そんな話です。
「道徳」ですから,「人格形成」だろうと思えます。
「道徳」だから,「隣人愛」だろうとも思えてきます。
「道徳」なんだから,「聖人への道」のはずだとも思えてきます。
「道徳」という言葉は抽象的な言葉なので,その時その時で解が変わりやすくなります。
変わりやすいままでも良いのですが,できればぶれない解をもてるようにしたいです。
「道徳」に対する考え方に一貫性が出てくるからです。
それには,どうしたらいいでしょうか。
私は漢字から考えるのがベターと思っています。
なぜなら,戦後,道徳が生まれたとき,「修身」とはせず,「道徳」としたのです。
どういう意味を込めてこの熟語を用いたのか,その誕生時の考え方に近づけるような気がするからです。
私の場合は,独善的ですが,単純に「徳のある道」と読み替えています。
少々の解説的には,「普通の生き方ではなく,心に徳のある状態で歩む生き方」と捉えることができます。
すると,道徳を考えるのがそれほど難しくなくなります。
それは,「徳があるか,徳がないか」そこを軸に考えればいいからです。
では,その「徳」とはどういう心の状態を言うのでしょうか。
それについては,またの機会に書きたいと思います。
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こういう道徳話に耳を傾けてくれる先生がいます。
ありがたいです。
「徳は孤ならず。必ず隣あり」(論語里仁第四)とフッと思います。
『心に刻む日めくり言葉 子どものための教室論語』
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