【横山験也のちょっと一休み】№.2192

■「チーム横山」で「道徳読み」■
今回の「チーム横山」も、中身は「チーム道徳」でした。
読み物教材を伴って提案されるので、私にはとてもいい学びの場になっています。

・小出先生 → 吉田松陰教育の続編
・城ケ崎先生 → ひとふみ十年
・須田先生 → うばわれた自由

これとは別に、須田先生は毎回刺激的な提案を示してくれます。
若いころからの読書家なので、とにかく問題意識が高く、毎度、いろいろと考えさせられ、とても良い勉強になっています。
実にありがたいです。

今回は、「卒業式雑感」が提案されていました。
その中に、「ステージに上がった人たちの、国旗への礼」がありました。
校長先生や教頭先生がステージに上がると、正面に掲揚されている国旗の方向に一礼をします。
このことを言っているのだと思いますが、これが大変勉強になりました。

国旗への礼では、ちょっと不足があるなぁ、というのが私の思いでした。

平素の集会でも、ステージに上がる前か上がった後に、校長先生は正面の中央に向かって礼をしています。
そこに国旗はありません。
何もない正面奥に向かって礼をしています。
なぜでしょう。

戦前、卒業式や入学式などの儀式を行うとき、正面の中央には御真影を掲げていました。
天皇陛下と皇后陛下のお写真です。
校長先生は陛下に体を向けて、陛下へ礼をしていました。

私の本棚に、尊敬する宇佐美寛先生の本が並んでいます。
若いころ、その前を通る時、宇佐美先生の本に一礼をしていたことがあります。
これは決して本に礼をしているのではありません。
「宇佐美先生、ありがとうございます」と、本の向こうにいる宇佐美先生に礼をしていました。

神社に行くと、お賽銭箱の前に立ち、お堂に向かって礼をします。
これを見て、建物に礼をしていると思う人は滅多にいないと思います。
神様に礼をしているとわかっているからです。

戦前の卒業式や入学式は儀式でしたので、神様への奉告が行われていました。「おかげさまで、みんな卒業できました。ありがとうございます。」というような喜びを謹んでお伝えしていました。

だから、ステージの脇で礼をしている校長先生が目に留まったら、「ああ、卒業の喜びをお伝えしているのだなぁ」などと思えれば、自分の気持ちも豊かになります。
こういう、ありがたい方向に補うように考えることは、道徳的に頭を巡らすことなのです。
「道徳読み」です。

須田先生のレポートには、行き過ぎた礼の話などもあり、それはまさにその通りと思い、「過ぎたるはなお」を思い浮かべました。

道徳系のレポートを「道徳読み」すると、よい気持ちになってきます。
「道徳読み」は楽しいですね。

『道徳読み』がもうすぐ発売になります。
20日です。楽しみですね。

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