【横山験也のちょっと一休み】№.2262
■山梨県の小学校で話した事■
山梨県の祝小学校の校内研で話した事です。
ちょっと思い出せなかった言葉がありました。
情けないなと思いつつ話した事を、少し整理して記します。
祝小学校では「道徳読み」で道徳を見つけたり、登場人物に通知表を付けたりしました。
どんな道徳を見つけたか、どうしてそういう評定をしたか。
そんなことをグループで話してもらいました。
全員が同じ文章を読んでいるのですが、みつけた道徳に違いが出てきます。
評定も違えば、理由も違います。
同じ文章を読んでも、思い浮かんでくることが違うので、見出すことが違ってきます。
「人心の同じからざるは 面の如し」(近思録)
人の顔が違うように、心に映ることはみんな微妙に違います。
昔の人はうまいことを言ったものだと思います。
違いがあるから意見を戦わせて、自分の正しさを言い合うと、道徳から離れていきます。
持論に凝り固まるからです。
違う見方を受け入れること。
これが徳のある道です。
受け入れるように学んでいると、何かトラブルがあったとしても、そこに油を注ぐことは少なくなります。
受け入れることは、心を寛くする学習になっているからです。
争いも自然と収まりやすくなります。
道徳の教材文で学ぶことは、現実の世界で起こりえることを円満な方向にむけるための、いわばレッスンの場なのです。
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