「道徳読み」って、どういう読み方なのでしょう。
そのヒントとなるお話をしましょう。

この文章を読むと、自動的に頭は算数脳になっています。
ですが、あえて、問題文を記します。

問1、花子さんの花は何本になりましたか。

常識のように、「数」に注目をして答えを導きます。頭は「算数脳」です。

今度は、違う問題文を記します。

問2、次郎さんはどんな気持ちになったでしょう。

この問題文を読むと、さっきまで注目していた「数」には意識が向かなくなります。
かわりに、次郎さんの「状況」が気になってきます。このときの頭は「国語脳」です。

同じ文章なのですが、問われ方によって、「数」に注目して「算数脳」になったり、「状況」に注目して「国語脳」になったりと、頭の働きが変わってきます。

さて、ここでさらに3つめの問題文を記します。

問3、次郎さんは本当にもらって良かったのでしょうか。

さっきまで意識が向いていた「数」や「状況」はかすんできます。
4本もらおうが、1本だけであろうが、そんなことはおかまいが無くなります。
また、花をくれた花子さんの気持ちも気にはなりますが、さほど、重要ではありません。
「何のいわれもなく物をもらう」という行為が、正しいことなのかどうかで頭が巡り始めます。
問を出されたことにより、「倫理」に注目がいったのです。
このときの頭が「道徳脳」なのです。

国語や算数の勉強には、先生も子供達も慣れ親しんでいます。
ですので、その時間になると、自動的に頭が算数脳になったり、国語脳になったりしています。
ごく自然に切り替えています。

ですが、道徳はきちんと教えられてこなかったので、自動的に道徳脳になることがありません。
子供達だけでなく、先生も同様です。
教材に、道徳脳で向き合うことが、道徳の授業では大切です。
それを行いやすい一つの指導法が「道徳読み」です。

こういうことが、「チーム算数」で語られました。
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