【横山験也のちょっと一休み】№.2261
■道徳は人を活かす道■
論語などの古典を読んでいる時の自分は、どんな状態なのだろうか。
ふと思うことがあり、少し考えたことがあります。
若いころは、読んでも「これは違う」などと反発をすることがありました。
自分の方が立派だと思い込んでいたのでしょう。
それが、しばらくすると、「なかなか良いことが書いてある」とその良さに気が向くようになりました。
自分が古典と対等な感覚に立っていたのだと思います。
今は、自分の力になるように読んでいます。
教えを乞うような思いで読んでいるのです。
易経に「知は崇(たか)く 礼は卑(ひく)し」という言葉があります。
響きますね。
「自分が活かされてくる」と感じる読みになっています。
この思いを、道徳の教材に出てくる登場人物につなげます。
登場人物の中には、どうしてこんなことをするのか、と思える人が出てきます。
その人は、道徳の何が不足しているのか。
何を学べば、もっと豊かな人生になるのだろうか。
ダメな登場人物が活きるように思考を巡らせます。
始めのうちは、「これを学ぶ必要がある」などと、指示命令的な言葉が出てくるのですが、自分を低める努力をすると、心より伝えるという「忠告」の言い回しが浮かんできます。
道徳をよりよく学ぶ人は古典を読むといいです。
論語から入るのが、私は王道と思っています。
—
関連記事: