【横山験也のちょっと一休み】№.3633

今日は、若いころから大変お世話になった江部満編集長の御命日です。
明治図書の雑誌や本にたくさん書かせていただきました。

メールがまだない時代でしたので、依頼は郵便受けに届いていました。郵便受けを開き、明治図書の封筒が入っていると小躍りしたものでした。その封筒には「原稿ご依頼」と朱印が押してありました。

全国の優秀な先生方が読まれる明治図書の教育雑誌に、駆け出しの若造が書いていたのですから、怖れ知らずです。でも、江部編集長他の皆さんが作り上げた教育雑誌の大変革が起こったから成しえられたものと思ってインす。

当時の教育雑誌は大学の先生が大論文を書き、その付属品のような感じで小学校の先生が執筆していました。しかし、法則化運動が始まり、「小学校の先生が求める内容は、小学校の先生が書く」というスタイルができはじめ、私のような奇天烈な教師の実践も多くの先生方に喜ばれました。
小学校の先生にそういう道を開いてくれた一人が江部満編集長です。

私が小学校の先生をしていたころは編集者と著者という関係でしたが、その後、さくら社を設立してからは、御同業として親しくしていただきました。この時代に伺った話は、壮大な話が多かったです。印象的なのは月刊誌『国語教育』の創刊の話です。社内では雑誌の刊行に反対の意見しかなかったのですが、それを強行突破して発行したのが江部編集長でした。『国語教育』が書店に並ぶと、これが飛ぶように売れ、大成功となり、今も脈々と刊行が続いています。

その江部編集長が明治図書を去られた後、特に親しく交流させていただきました。真っ先に、学習院大学の岩崎淳先生をご紹介下さいました。国語教育に重要な先生とのことです。原稿を拝見して、国語教育の王道とも感じてくる内容でいい本になると感じたことを覚えています。また、市毛先生等国語教育の重鎮の先生方とも引き合わせて下さるなど、江部編集長の国語教育への思いの強さを感じていました。
また、お会いして、江部編集長の国語教育の話や武勇伝を伺いたいですね。