【横山験也のちょっと一休み】№.2798
教育雑誌が元気だったころ。
その頃が私の現役の時代でした。
あのころは、明治図書だけでも20誌前後はあったように思います。
職員室の机の上には、小学館の『教育技術』誌が乗っているのがあたりまえでした。
硬派な雑誌『教育』もありました。
理数系関係では、仮説社の『楽しい授業』と、太郎二郎社の『人』。実に独創的でした。
そんな時代だったので、私のところへも毎月のように原稿依頼の封筒が届いていました。
そのほとんどは明治図書の雑誌で、依頼人は江部満さんと樋口雅子さんでした。
私は少し早めに退職をしたので、その後、江部さんとも樋口さんとも疎遠になっていましたが、しばらくして、さくら社を設立したので、今度は御同業と言うことでまたお付き合いが始まりました。
江部さんとは、大塚駅近くのお店で何度もお会いしました。
同業と言うことからか、いろいろな話を次から次へとしてくれました。
GHQなどとも絡んだ、国語教育誌の創刊秘話。
日本国中に広まった水道方式の命名秘話。
文芸研や西郷竹彦さんのこと。
また、優秀な著者先生も紹介してくれました。
それが、学習院大学の岩﨑淳先生です。
その江部さん、昨年、亡くなられました。
今日は御命日です。
きっと、新しい雑誌の構想をしているでしょうね。
カラオケで昔懐かしい歌を歌っていらっしゃるでしょうね。
会えるものでしたら、またお会いして、戦後の教育史をたっぷりと伺いたいです。
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