【横山験也のちょっと一休み】№.2859
zoom技法研の論語、2つ目です。
提案は小路先生。追究的な提案に、なるほどと思った次第です。
対象の条は
「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、
人を知らざるを患うるなり」 (学而第一)
読めば、すんなり、そういうものかと伝わってきます。
ですから、それでいいだろうとすることができるのですが、小路先生は追究しています。
諸橋轍次氏の解説にある「本を務めよ」にハテナがうまれ、そこから別の条へと調べが進んでいます。
そうして、腑に落ちたのでしょう。
こういう自分自身で納得できるように、発展的に調べていく姿勢は大いに勉強になります。
これは、余談ですが、小路先生は手書きで資料を作ってくれました。
その書いてある字が一つ一つとても丁寧です。
たぶん、1年生の担任をしたときに、かなり丁寧に文字指導をされたのだろうと思います。
それの時の指導を自ら文字としても生かして・・・
そんな風に思えていたので、小路先生の教師としての姿勢の良さにも感じ入りました。
ところで、先ほどの条です。
「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、
人を知らざるを患うるなり」
職場の上司、後輩。そういう視点から見ると、この条も味わいが深くなります。
人の己を知らざるを患(うれ)えず
上司からよく思われたい。しかし、そうは思えない日々が長く続くとふと思ってしまいます。
自分には実力があるのに、なんで上司はわかってくれないのか。
きっと、人を見る眼がないのだろう。
人を知らざるを患うるなり
では、あなたは、後輩の力を分かってあげていますか。
その実力を認めて、後輩に声掛けなどをしていますか。
自分のことで精いっぱいになってしまいがちなのが、人生です。
認められたいと思ったら、後輩を認めていく器量を持つことです。
なぜなら、上に上がれば上がるほど、そういう器量が必要となるからです。
新入の時は後輩がいません。
認められることはあっても、人を認めていくことがありません。
昇り詰めると上がいません。
認めてくれる人がいなくなり、人材を登用活用することが仕事となります。
上るにつれて、減っていくのが認めてくれる人。
上るにつれて、増えていくのが人を認める事。
だから、この条は、人を認められないようなままでいる人を「うれう」と書いているのです。
そう思うと、小学校の先生は、この条を最高の水準で行っている職業と思えてきます。
先生は教室では一番上の立ち位置です。教室で授業をしている時は、誰もその授業の良さを認めてくれません。でも、先生はそのことをまったく気にしていません。そんなことは当たり前だと分かっているからです。
自分が認められることはみじんも思わず、子ども達の良い所を大いに見出し、昨日より今日、今日より明日と、少しでもいいから伸びていきなさいと導いています。
自分が認められることはゼロ! 子ども達を大いに認め続ける。
なんと立派な姿ではありませんか。
職業に専念することが素晴らしい修養ともなっているのですね。
こんな風に読んでも、いい勉強になります。
論語は奥が深いです。
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この2冊も素晴らしい本です。
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