【横山験也のちょっと一休み】№.3293
野口塾のMLに流れていた萩原朔太郎の「猫」ですが、国語の説明文に強い先生には、ちょっと辛い作品だなぁと感じています。
最初の第1文が、いきなり辛いです。
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まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
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説明文に強い先生や、教育論文の論旨を明確にキッチリと書いている先生は「なんか変だなぁ」と自然と感じてくるでしょうね。
そうして、主語と述語をつなげて読んでみると、アッと気づきます。
「猫が」「かすんでゐる。」となってしまうからです。
かすんでいるのは三日月だけでなく、ネコともなってしまいます。
そう思ったとき、「これは詩だから」と頭が働いてくれると、文法上の主述の関係を見るのではなく、どんな感動的なことが描写されているのかと、あれこれ思いを巡らすように読むことが大切と思えてきます。
そんな風な気持ちになっていると、「なやましいよる」は夜が悩ましいのではなく、作者が悩ましい状態になっている夜ととらえることもでき、情景と病が混交しているような感覚になり、とても感動的になります。
そこから、「ぴんとたてた尻尾」に、猫が凛としている姿、あるいは、おすましをしている感覚が伝わり、それが病とのコントラストを強くし、ここでも感動的になります。
そんな読み方をしていると、自分がとてもいい気分になります。
読んでいい気分になるような読み方が最高と思います。
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こちらは、『道徳読み』という、道徳の授業の考え方と、その実践が載っている本です。
この「道徳読み」をするようになってから、物語文や詩への意識もかなり変わってきました。
読むということに関しての、私の原点なのかもしれないと思っています。
道徳の授業に関心のある先生にお薦めです。
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