雷が鳴りだしたので,PCを待避。
電気を切って,コードを抜いて・・・。
PCが止まったので,そんなときは読書だろうということで,『論語』を読み返していました。
論語が好きだからと言うこともありますが,「素直に学ぶ」という気持ちが湧いてきます。良い気持ちです。
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ところで,花を数えるとき,一輪,二輪と数えます。
このように数えることには,何の疑問もないのですが,漢字で書くと,少々,妙な気持ちになってきます。
なぜ,「輪」は車偏なのか,ということです。
もし,単純に「二輪でした!」と文字だけで伝わってきたら,前後の文脈が分からない人は「ああ,自転車のことだな」とか「オートバイか」と思うことでしょう。
「輪」という漢字の持つ力は,どうしたって「車」なのです。
魚を一尾と数えるのは,漢字で書くと納得します。
人は,三人。これなんか,そのままです。違和感の生じようがありません。
どうして,花は一輪なのでしょう。
いつもの『字通』で調べると・・・。
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[5] まるい形のものを教える助数詞。
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5番目に「丸い形のものを教える助数詞。」とあります。「教える」は誤字でしょう。教えるための助数詞というのでは,意味が通じません。「数える」が正しいのではないでしょうか。
ところが,『日本国語大辞典』で調べてみたら,「助数詞」という言葉がなければ,「教える」という意味でもなかなか面白いと伝わってきました。
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(3)一つの花の花びらの全体。また、大きく花が咲いている様子。また、その花。
*四季物語〔14C中頃か〕五月「からうして花のりん三つ四つ奉りすて行ぬ」
*大永三年本専応口伝〔1523〕「輪(リン)大なる花の類、さのみ短(みじかく)立る事」
*玉塵抄〔1563〕四「花のりんが大にして、わたり一尺ほどあるぞ」
*俳諧・犬子集〔1633〕一・鶯「鶯の経よみうつや花のりん〈正利〉」
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花びらが描く円形のことを「輪」と呼び始めたのです。まさに,「教える」「伝える」ための言葉として「輪」が用いられてきたのです。
これが,次第に一輪,二輪と数える単位として成立していったと考えて良いのではないでしょうか。
こうして調べると,丸い花に一輪,二輪といった「輪」という単位を使うことが分かってきます。
百合やチューリップは,どう数えるのでしょうかね。
『数え方の辞典』で調べたら,どちらも「輪」でした。
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