「主張ある道徳授業を創る!」の最後は、「質疑応答」でした。
4つの質問が出たのですが、その内の2つの質問は、私にとっても良い勉強になりました。
その1つの質問は、
道徳で1つだけ教えることを選ぶとしたら。
というような、内容でした。
いろいろと教えることはあるのですが、その中でどれか一つを守るとしたら、つまり、他のことは捨て去って、どんどん捨て去って、最後の最後に1つだけ残すとしたら、それは何かという問いです。
この問いは、ある意味、「志」を問われているような質問でもあり、守らなければならない「最高の道徳」を聞かれているような問でもあります。
質が高いと感じ入りました。
同時に、この種の質問をする人にありがちなことが頭をよぎりました。
この種の質問をする人は、自分なりの解答を持っている人と、持っていない人に分かれます。
解答を持っている人なら、こちらの答えもそれなりに響きます。
自分の持っている解答と比較し、考えが巡るからです。
しかし、自分なりの解答を持っていない人だと、こちらの言葉が右の耳から入って、左に抜けていきます。
頭の中にも、心にも、引っかかるに値する思いが無いからです。
この状態の人に答えても、虚しさだけが残ります。
お粗末な場合は、こちらがテストされている状態になります。
そこで、質問者に聞き返しました。
「あなたの心にある一つだけ守る道徳は何ですか?」
その答えはスッと出ません。
きっと自分の考えを持っていないのだろうと思いました。
どうなるかと思っていたのですが、質問者は立派でした。
私からの質問に、答えてきたのです。
「尊敬です」
退かない力強さ。
自ら答えを定めた前向きさ。
良いものを持っている青年だと思いました。
これで、とりあえず質問者の頭には、「尊敬」こそが一番大事な道徳と位置づきました。
有り難いです。
私が答えても、何かしら質問者の中に引っかかると思います。
このやりとりは、私にとって重要で、「道徳のそもそも論」で話しているところと重なります。
◆心は教えられない。心は自分から。
心の部分へのアプローチを、このやりとりで再確認できました。
道徳は学び甲斐のある学問ですね。
セミナーでは「ブランコ乗りとピエロ」を扱ったのですが、この作品をよく言い表しているのが「上に居りて寛 礼を為して敬」かなと、思っています。
論語が好きで、道徳も好きという先生とは、少しゆっくり話したいですね。
今週の土曜日は、埼玉の本庄早稲田でのセミナーです。
こちらでは、「講演者、発表者と語るフリートーク」が1時間ほどあります。
どんな語らいになるのでしょう。楽しみですね。