横山験也のちょっと一休み】№.2276
次回のSG会は16日(土)です。
楽しみですね。
■教科書が読めない子どもたち■
先月のSG会の課題図書は『AI vs 教科書が読めない子どもたち』でした。
面白い本なので、この方面が気になっている先生は、一度目を通されるといいです。
小学校の先生としては、AIの方より、「教科書が読めない子どもたち」について書いてあるところを読むと面白いです。
文章が読めない!
嘆かわしいほど読めない!
そういう現実が伝わってきます。
そうして、読み進めていると、「そろそろ書いてあるかな」と期待が高まります。
どうしたら読めるようになるかという、対策となる指導です。
でも、それは最後の最後まで出てきませんでした。
まあ、大学の数学の先生がそこを解明してしまったら、児童・生徒専門職の先生の面目丸つぶれとなります。
ですので、私としては小学校や中学校の国語の先生に期待がかかるのですが、国語の先生は元々読書が好きですので、「読めない」という感覚がよくわからないと思います。
すると、国語以外の先生に期待がかかります。
「読める」というのは、文章の決まりに則って理解できるということですので、論理性が重視されます。
すると、国語以外なら誰も良いというわけではなく、論理性の高い教科、すなわち算数数学系の先生で、本を読むのが苦手だった経験を持っている先生がナイスとなります。
それって、私のことですね。
と、手前味噌な理屈を立てて自分に勇気を与えました。
では、算数が大好きで、読解(特に物語文)がイマイチの私は、読んでもスカッとは意味が読み取れない文をどうやって把握していっているのでしょう。
私の使っている方法は「p読M」という方法です。
これは、本に書き込みをする方法です。
ですので、本を読むときには、右手にシャープペンを持つのが私のスタイルです。
「p読M」は、私には面白いほどありがたい方法です。
昨夜も、『資治通鑑(しじつがん)選』を少しだけ読んだのですが、弁論についてなかなか見事なことが書いてありました。
しかし、1文が6行半もあり、目で読んだだけではあまりスッキリしません。
そこで、この「p読M」で書き込みます。
すると、極めて明瞭になり、私は「なるほどね」となりました。
こういう個人的な方法をいろいろな人が持っていると思います。
児童生徒もそういうスッキリしないところの読み取り方を意識するようになれば、教科書を読めない子が少しは減ると思います。
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