宇佐美寛先生の『国語教育を救え』はもうすぐ、11日の発売です!!
楽しみですね。
■伊藤仁斎の「論語古義」■
中央公論社の日本の名著シリーズにある『伊藤仁斎』を机の上に出して、時折読んでいます。
この本には「論語古義」と「童子問 巻の上」が載っています。
童子問の方は以前に読み終えています。
でも、論語古義の方は何度か読んでは途中でやめています。
不思議なのは、それでもまた、読みたくなるのです。
読めばわかるのですが、「そうだよなぁ」の連続です。
「そもそも師とは他人の手本である。」(p70)
こういう言葉にジーンときます。
私は、もう、教師ではないのですが、今からでも手本となるような生き方をしたいと思います。
さらに、次のように続きます。
「人材は師によってできあがり、社会の秩序はこのによって維持されるもの、なめし皮の帯をしめている身分の低い人間でありながら、君主と同格で論じられる。」
児童は師によってできあがり、
クラスの秩序はこのことによって維持される。
公用車ではなく、マイカー通勤ですが、君主と同格で論じられる。
何というか、精神性の高さを求められるのが師なのだと感じてきます。
フェイスブックやブログに、なかなか良いことを書く若い先生がいます。
須永先生のもそうです。
薮田先生のもそうです。
小出先生のもそうです。
熊谷先生のもそうです。
見習うべきことと思います。
保護者の方がさがして読んだとき、まじめな前向きな先生でよかったと思うでしょう。
そうして、まじめさや前向きな心は、時がたつと類を呼びます。
お付き合いする方々がすこしハイレベルの人たちになっていきます。
自分は将来、どんな人たちと交流をしていくのだろうか。
そんなことを、時々、思うことがあります。
そのたびに、低きにとどまってはいけないと声が聞こえ、今の自分をもう少し、まともにしていこうと思えてきます。
出会うであろう人に相応しい人になろうと思うからです。
論語と言えば、『日めくり論語』です。
これもいいですね。
—
関連記事: