【横山験也のちょっと一休み】№.3445
昨日は城ケ崎先生とジョナサンで歓談しました。
話のはじめは、城ケ崎先生が石川晋先生と会ったところから始まりました。
聞けば、渡邉校長の学校で作文の授業研究があり、その講師に石川先生が招かれ、その授業を城ケ崎先生も参観されたとのことです。
「着語読み」の話題になり、そこから芦田惠之助へ話は進み、石川先生が惠之助に関するあれこれを熱く語ってくれたそうです。かなり詳しかったようで、さすがは中学の国語の先生と思いました。
私が個人的に面白いと思ったのは、授業で作文を書かせた作文への朱書きです。それをどう入れるか。作文は長期的な指導が必要なジャンルですので、一ひねりすると、結構面白く取り組めます。
作文力を向上させるノウハウをたくさん知っている先生は、技術的なことを、書いた子のレベルに応じて書くでしょう。指摘したところを意識して次の作品を書けば、筆力がじわっと高まるように感じます。国語を専門としている先生は、これがキッチリできる先生なので実にすごいです。
ところが、そういうノウハウが小学校の先生にまんべんなく備わっていればいいのですが、私のように国語にも多少は力を入れていましたが、そもそも自分の作文力に問題がある場合は、ノウハウの指導を効果的には行えません。
そうなると、意味の薄い感想的な事を書くようになるのですが、技術力に劣るとわかっていると、そこに知恵が出てきます。「読者として読んで、その感想を書く」ようにすることです。それも、普通の読者ではありません。熱烈な読者、子どものファンとしての感想を書くようにします。そうすることで、「もっと読みたい!光線」を子ども達に贈るのです。
究極の原理的言葉は、「おもしろい!」です。これは、明石先生がSG会でも、レポート提案の後にごく自然に発している言葉です。「おもしろい!」と言われたら、それは印象に残ります。また、次も気張って書こうかという気持ちになります。
大事なことは、作文をまた書きたいという気持ちにさせることです。そこにつながるような感想を書けば、子ども達の作文へのモチベーションは高まります。これが、野口先生の言う「多作」という作文力の足腰を強める作文体験を増やす活動へとつながります。
しかしながら、毎度「おもしろい」の一言では、物足りなさがあります。そこで、ほんのわずかに知っている作文の技術を絡めるようにします。
小学校の作文は生活文です。体験したことを書く作文ですので、会話文がどこかに入ると、作文が少しはよくなります。その会話文が少ない作文を読んだら、かすかに書かれている会話に注目し、「〇〇君ときみの会話が面白かった!また会話を載せてね」と書けば、その子はそうなんだと思い、次作で会話文を少し増やすように心が動きます。
よく書けていることや、伸ばしてほしいなと思うところなどを、「おもしろい」と抱き合わせで書くことがモアベターな赤ペンと思っています。
この「おもしろい」は感想なので、守りが堅いです。子どもの作文への応援力が衰えにくいということです。
技術的な指導は、その指摘が的確かどうか客観的に判断できるので、「先生の赤ペン、ちょっと変だよ」と言われてしまうと、変でないことを論証する必要が生じます。私はこういう場面になると、カッと来るのでダメです。
これに対して、感想には客観的な判断は通用しません。ひねた子が「先生の感想ヘンだよ。だって、会話文は2つしかないし、短いし!」と言ったとしても、「だって、ここ面白いじゃん」とおもしろいと感じてしまったのだからしょうがないことを話してあげたら、それで十分です。たとえ稚拙な会話でも、「先生は面白いと思った」という姿勢を示すことが大事なのです。君の作文のファンだよという姿勢を次の作文でも示し続けることがさらに大事なことになります。そうこうしている内に、先生の方が変わってきます。稚拙なところでも結構面白いと感じられる先生になっていくのです。
そうなってきたら、何かの機会に石川先生のように作文指導技術をしっかり把握している先生のお話を聞けば、「面白い」と絡める言葉が増えて、鬼に金棒となります。
さて、その先は城ケ崎先生のSG会でのレポートの話題になりました。これは、またの機会に書けたらと思います。
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面白いといえば、「夢中で算数」のシリーズですね。
三角形の内角の和の授業に「カマキリライダー180°」が飛び出します。
第3弾は、2023年の春を予定しています。
あの、「神が降臨するひき算」も掲載されるので、楽しみ度が高いです!!
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