【横山験也のちょっと一休み】№.3231

正月の二日と言えば、初夢が思い浮かびますが、書初めにも懐かしさがあります。

小学生の頃は、正月二日に家で書初めを書き、それを学校に持って行きました。
家での書初めですから、母親がつきっきりです。墨をこぼしたり、筆が転がっては、大変なことになるかだと思いますが、子どもだった私はそんなことはお構いなしに、母が手をもって書いてくれた字はとてもきれいで、子ども心に「いいなぁ」と思ったものでした。
この書初めを調べたら、書いたら長押などに貼り、1月15日の小正月に行われる火祭り(どんど焼きなど)で燃やすそうです。その時、紙へんが高く舞い上がると、お習字の腕が上がると記されていました。
書初めは腕が上がるようにと願って行う行事のようです。

江戸年中行事図聚』(三谷一馬著、立風書房)に「書初め」の項目があり、そこを読んだら、「手習師匠の吉書(かきぞめ)」が記されていました。「書初め」を「吉書」と江戸時代に書いていたのかと、実に驚き、吉書もあれこれ調べてみました。

ぼんやりながらもわかってきたことは、書初めは子どもの字の上達を願って行う行事で、お正月なのでめでたい言葉を選んで書いようです。
しかも、縁起の良い方角(恵方)を向いて書きます。縁起も担いで、「字がもっと上手になりますように」と願いつつ、書いていたのでしょう。
書いた紙を貼り出すのは、願いを年神様に届けるためのようです。神様に見ていただくという感じなのだと思います。さしずめ、学校でしたら、校長先生に見ていただくというような意味合いになるでしょうね。

私が小学校の先生になったときには、学校で書初めをしていました。
私は「子ども達の字が上達しますように」と願うこともなく教えていました。恵方を向くというような雰囲気作りもしていません。良い言葉を選ぶこともせず、与えられた言葉を一律に書かせていました。その上、上手な書初めに金や銀の小さい紙を貼っていました。コンクールのような感じで行っていました。

退職してから20年。今は主体的な学びの時代に舵が切られています。私のようなコンクールタイプの書初めは、伝統とも離れてしまい、ちょっと恥ずかしくなりますね。
昔ながらに戻す必要もありませんが、良い字を選んで、「字が上達しますように」と願いつつ書いた文字を廊下などに張り出す日も来るかもしれません。
そうして、休み時間になると、校長先生や教頭先生が一つ一つの書初めを見て、どの作品にも目を細めて喜び、ちょっと文字に触れて、「上手になれよ」などとつぶやきます。
脇で見ていた子は、自分の書初めを賞翫してもらった上に、ちょっと触ってもらえたことがうれしくて、「よし、頑張るぞ」となるのでしょうね。

今年の初夢に小学校が出てきました。何か教えていましたが、こういう心温まる情景ではありませんでした。

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