【横山験也のちょっと一休み】№.2994

昨日届いた『洋算訓蒙図会』に「ホ」のつく「覚」の字があることにビックリしましたが、もう一つ、感動した漢字の読みがあります。
今日は、それをご紹介します。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。
この言葉は辞典を引くまでも無いのですが、「好きで取り組んだことは上手になっていく」というような意味です。

とても良い言葉で、それが『洋算訓蒙図会』の序にも使われていました。
ただ、「じょうず」を表す漢字が「上手」ではなく、「熟達」となっていました。

以前、明治時代の算術書に、「トランプをきる」の「きる」に、「混る」と漢字が使われているのを発見して、いたく感動したことがあります。
トランプでカードをきるのは、カードをごちゃごちゃに「混(ま)ぜる」ために行う行為です。
まさに、適切!と感動したことを覚えています。

それと似ていますが、もう少し考えてみたくなるのが、この「じょうず」と読ませる「熟達」です。
「上手」というのもその意味として卓越しているとか、巧とかを持っていますが、「下手」の対にもなっているので、「上・中・下の3段階の一番上」という印象も私にはあります。
ですが、「熟達」となると、3段階の一番上という感覚ではなく、もっと一握りに近いレベルに達している感覚になります。
草木が育ち、花を咲かせ、実を結び、結んだ実が程よく熟す。
そこまで達していると感じられるのが「熟達」です。

そう感じてしまうので、「熟達」を使って、「好きこそ物の熟達なれ」と書いて示されたら、なんだかすごいところまで自分も行けそうな気がしてきます。
こういう未来への希望を感じさせる言葉はいいですね。

「熟達」という言葉が似合う先生から、先ほどメッセージをいただきました。北海道の福嶋先生です。

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