【横山験也のちょっと一休み】№.3749
算数の話を一つ。
算数でわり算の筆算を学習するとき、「立てる→かける→ひく→おろす」という手順の説明がなされます。この手順は全くその通りで、この順に従って筆算を進めないと、正しく計算できません。
当たり前のことですが、ひいてから立てたり、おろしてからかけていたのでは、めちゃくちゃになってしまいます。
こういう「立てる→かける→ひく→おろす」といった手順を子ども達に説明することを「論理的説明」と呼んでいます。
また、これとは別に、私がやってきたような「スイートポテト」を使って子ども達に話すこともあります。こちらは論理性に乏しいですが、子ども達の感覚にはとてもよくフィットします。こういう説明を「感覚的説明」または「直感的説明」と呼んでいます。
算数の教科書には、算数の説明がきちんとされています。その形態は「論理的説明」です。少し感覚的な説明も含まれていますがほぼ例外的です。そのほとんどは論理的説明となっています。
不思議なことは、理路整然とした、非の打ちどころの無い論理的説明で授業が進行するのですが、全員がスパッと理解しきれないということです。理路整然としているのですが、なぜか消化不良を起こす子が出てきます。
そんなところに、民間教育研究で学んだスイートポテトのような直感的説明を加えると、これがグイッと良い感じになります。もちろん、100%全員がマスターとなる保証はありませんが、なかり良い感じになります。はっきりしていることは、「論理的説明」だけの場合より、「論理的説明」+「感覚的説明」の方が伝わりがよくなるということです。
これが、なぜそうなるのかについては、進化心理学を少しかじった先生には、なるほど感をもって理解し得るところです。
こういうことが、わり算の筆算だけでなく、不等号の学習でも同様となっています。
教科書にある「大>小」「小<大」の図は、見てその通りと感じます。不等号の記号の意味を明確に伝えています。
これ以上に無いほどの明確さを持っているのですが、なぜか、頭に入りきらない子が出てきます。
ところが、そこに、「不等号さかなクン」を出すと、子ども達の関心は非常に高くなります。そこに乗じて、「大きい方が好きな魚」と「へ理屈」的に魚の性格を決めてしまいます。この非論理的な、ありえない状況が、不思議と不等号を子ども達の頭の中に落とし込んでくれます。
2つ事例を示しましたが、この2つの「感覚的説明」の材料のことを、若いころの私は「ふりかけ」と呼んでいました。
ご飯がどうにも進まない子がいるのですが、そんな時、パラパラとふりかけをかけると、もりもりとご飯を食べてしまいます。自分自身がそうだったこともあり、「ご飯は栄養がある」とどれだけ言われても、「パラパラ」の魅力にはかなわないことは体験的も感じています。
説明の「論理」はとても大事で、内容を正しく示していますが、それだけでは食が進みにくいのです。システム2を直接起動しようとしているからです。でも、そこに「パラパラ」があれば、論理というご飯をぺろりと食べてしまいます。システム1が自動的に稼働して、システム2と連携するからです。
とまあ、ざっくりとしたことですが、アイディア教材がいかに重要な存在かということを、次回もまた書いてみたいと思います。
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下の3冊には、ふりかけ系の楽しいアイディア教材がたくさん載っています。
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