【横山験也のちょっと一休み】№.2826

「奇零」の続きです。
お気に入りの算数:小数点の話「奇零」

小数のことを「奇零」と呼んでいたことはわかりました。
ですが、小数点のことを「奇零」と呼んでいたかどうかは、分からずじまいでした。

ありがたいのは、「和算」と辞書にあったことです。
うまくしたら、古い熟語がたくさん出ている辞書、そう愛用している『大漢和辞典』で調べれば、何か役立つ内容が出ているかもしれません。
早速、調べてみました。

『大漢和辞典』(3巻p571)に「奇」が載っており、その熟語として「奇零」が記されていました。
そこを見ると、わかりやすい意味が記されていました。

数のあまり。単位以下の端数。

とあり、その先に次のように載っていたのです。

三・一四一六を三奇零一四一六といふ。

これではっきりしました。
算術書にあったように、「奇零」は小数点の呼称としても使われていたのです。

『大漢和辞典』には、熟語の意味に続けて用例が載っています。
そこを見ると、「〔宋史、食貨志三〕数既奇零」とあります。

宋史に用例が載っていることがわかったので、ウィキで調べ、現在、どんな本に収められているかをちょっと覗いてみました。
すると、「和田清編『宋史食貨志譯註』東洋文庫〈東洋文庫論叢 第44〉」とあります。

東洋文庫。
これは、ありがたい!
私が愛用しているJapan Knowledgeに全文収録されています。
デジタル化されているので、即座に検索できます。
実際に、「奇零」「東洋文庫」で検索を掛けたら12本もの用例と出合えました。
これで、古の使われ方が把握できます。
その事例を少し引用しましょう。

東洋文庫 幕末外交談2 P.203
これを平均して算出した、銀一匁八厘七毛五糸を基準として、その奇零(はしたの数)を除き、概して一ヵ年百坪で二十両、

東洋文庫 本朝度量権衡攷1 P.62
小尺の一寸を大尺にて度れば、八分三■三豪三絲三忽不尽なり。
史に其の奇零を記すべきならねば、大凡に八分と記しけるなり。

東洋文庫 本朝度量権衡攷2 P.11
煩わしきによりて、一升の積一万六千二百分〔分母なり〕と、奇零の四千四百分〔分子なり〕とを約分術にて約すれば〔約分の術は、『九章算術』方田の条に、「分母子の数を副置し、少きを以つて多きを減じ、更(こも)ごも相ひ減損し、その等しきを求むるなり」と伝へる、是れなり。

ということで、算術の本に出ていた「小数点ノコトヲ,昔シハ「奇零」トモ言ツタガ之レハ日本数学ノ昔シカラノ言葉デアル。」は少々、端折りのある説明とわかりました。
はしたのことを江戸時代の和算の世界では「奇零」と呼んでいました。
明治になり洋算が輸入され、アラビア数字による小数表記が伝わり、見たことのない「.」をどう読むのか思案した結果、はしたとの境目としての点ともとらえられるので、それなら既にある「奇零」を使えばよかろう、となったのが妥当な所と思います。
その後、辞書が普及し、「奇零」を掲載した多くの辞書には本来の意味が載っており、『大漢和辞典』には、新しく読ませた小数点の読み言葉としての意味も掲載したのでしょう。

自分で気になったことを、結構早く解決できて、良かったです。
調べる途中で「有奇」という言葉と出合いました。
折りを見て、書いていこうと思います。

左の本は、3月に刊行された私の本です。
小学校の先生向けに書いています。
算数の授業が楽しくなる「手づくり教材」がたくさん掲載されています。でも、「奇零」は出ていません。
代わりにはなりませんが、「小数点君」という楽しい手づくり教材が載っています。


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