野口塾IN神戸では,「アフリカ教育視察」の話をしてきました。
アフリカと言えば,ライオンや象などがいて・・・となるのですが,
私が見てきたのは小学校や教育機関です。
ですので,「アフリカは都会だった」というのが,全体印象です。
そのアフリカの教育現場。
そこを重点的に見て,その状況のすさまじさに強い衝撃を受けました。
この衝撃,もしかしたら,幕末や明治初期,欧米に渡った人たちがうけた衝撃に似ているのではないかとすら思いました。彼らは,先進国の実態を見て,「日本を何とかしたい!」と思ったのですが,私は途上国の実態を視て,「アフリカの教育を何とかしたい!」と強く衝撃を受けたのです。
この衝撃は今回の視察で始まったばかりで,これから先,さらにどんどん加速する形で私に影響を与えるのだろうと思っています。
ですので,今回神戸で話したことは,その衝撃のしょっぱなに位置する,そんな視察の一端です。
右の写真はケニヤにある小学校の校門です。
門の所に学校名がしっかり書かれているのは,日本も同じです。
私は,赤文字で書いてある言葉に驚かされました。
「STUDY TO ASCEND」
studyは勉強。
ascendは昇るとか,上がると言う意味です。
すると,STUDY TO ASCENDは「学力向上」となります。
学校とはどういうところかを,校門で明確に示しているのです。
もし,日本の小学校が同じように書くとしたら,どうなるでしょう。
きっと,「人格の完成を目指す」となるでしょう。
それを校門などに明示したら・・・。
子ども達は何をしに学校に来ているのかを,毎日目にすることになります。
わがままを言いづらくなります。
身勝手をしづらくなります。
来校する保護者の方も,そういう場に足を踏み入れているのだという気持ちになります。
もちろん先生方も目的の自覚が進み,指導に磨きがかかります。
「目的の明示」という,基本中の基本をケニヤの小学校に見ました。
大いに勉強になった次第です。
また,ケニヤの小学校は「学力向上」が目的となっています。
日本は「人格の完成」です。
この違いは実に大きいです。
明治時代の学校は,西洋から輸入した新学力を吸収することから始まったので,学力向上が至上命題です。
ですが,単なるまねごとですませないのが日本人です。
そこに,魂を込めていくように改良していきます。
人の道を学校教育にも組み入れ,学力向上をしつつ,同時に人格も磨いていくという姿へと変貌させてきたのが,日本の教育なのです。
校門に記されているほんの一言の言葉ですが,見逃すことはできませんでした。
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