昨日,記した西村茂樹氏。
道徳を専門としている先生方の中で,歴史的にも学んでいる先生は,一度はチェックをされたことがあるのではないでしょうか。
文部省編纂局長として『小学修身書』を著した方です。
近代道徳の祖とも,小学校道徳の祖ともとらえられる,重鎮です。
その西村茂樹氏は,明治23年に『日本教育論』を講演しました。
それが,本として伝えられています。
この『日本教育論』の中に,論語の一節が2カ所出てきます。
その一つが,孔子の教育思想を現した部分です。
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子曰く,
憤(ふん)せずんば,啓(けい)せず。
悱(ひ)せずんば,発せず。
一隅(いちぐう)を挙げて,三隅をもって返らざれば,
則(すなわち)ち復(また)せざる也。
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学びたい心が膨らんで来たら,ひらき導きましょう。
蓄積されて言いたくてしょうがなくなったら,ひらき導きましょう。
一つの隅(すみ)を持ち上げれば,たくさんの隅(すみ)が持ち上がりますよ。
でも,そうならなかったら,まだ1つの隅が熟されていないのですよ。
とまあ,こんな意味です。
この教えは,算数ソフトを使って授業をしているときの様子とよく似ています。
ひとたび,算数ソフトを使って授業をすると,子ども達は,また明日も算数ソフトを使って勉強をしたいと望んできます。
これが,「憤している姿」です。
こういう状態になったら,先生が教えたい方向へ導くことができます。
また,ソフトを繰り返し見ている内に,十分な蓄積がなされ,何かしら気づいたことを言いたくなってきます。
これが,「悱している姿」です。
こういう状態になったら,発言をさせ,教科書を見せ,導くことができます。
ソフトが滲透し始めた頃,よく,城ヶ崎先生がこういう様子を語ってくれていました。
ソフトを使うと,勉強したがる。
同じソフトを何回か繰り返すと,何か言いたくなってくる。
そんなとき,良い感じで指導が入れられるということです。
算数は「一を聞いて十(たくさん)を知る」勉強です。
1つの「きまり(原理)」をしっかり理解すれば,それを使って,たくさんの問題を解くことができるようになります。
これが,「一隅を挙げて,三隅(たくさん)をもって返る」です。
でも,三隅(類似問題)に取り組ませても,それがよくわからない場合は,もとの一隅(きまり)がしっかり習得し切れていないのですよと,孔子は教えてくれています。
明治16年に『改正教授術』が世に出て,大ヒットしています。
この本に出ている新しい指導法は,それまでの暗記中心の指導法とは異なり,子ども達のやる気を起こす方法でした。
子ども達の能力の開発するので,西村茂樹氏は「開発法」と述べています。
これが,孔子の教育思想と同じなのだと述べています。
西洋・東洋,互いの良いところを教育に取り入れましょうと,非常に先進的な考えが記されているのが『日本教育論』です。
「憤している姿」になる指導。
「悱している姿」になる指導。
目指していきたい姿ですね。