勉強をしっかりやり,朋友もできた。
これだけでも,実に充実した良い人生です。が,ここまで進むと,それなりに欲が出て来るのも人の心です。
自分から友へ広がったように,友から世間へと広がり,世間にも認められたいなという思いになってきます。
でも,現実は,自分自身や仲間内のようにはすんなりとはいきません。
どうにも認めらない日々が延々と続きます。
そんなとき,「怨まないんだよ」と教えてくれているのが,学而第一です。
そうはいっても,「何で自分だけ」とか,「どうして自分は」とか,あれこれ思ってしまうのも人の心です。
怨むなと言われれば,逆に怨みたくもなってきます。
この自然に湧き上がってくる,怨み辛みの感情。
これこそが,人生の大きな学びの場なのでしょう。
「学びて時にこれを習う」は,まだ青い学びです。
「人知らずして怨まず」に至って,人生で乗り越えるべき学びの場にやってきたのです。
青い「学び」は,遠方から朋を呼び寄せます。
同様に,人生の「学び」は,遠方にあるといわれる「君子の境地」を自分の心に呼び寄せてくれるのです。
論語は読む度に,深い味わいを与えてくれますね。
道徳の授業でこういう人生というスケールでの学習ができたら,いいですね。
ひょいと,「学習」という字を訓読みしたとき,「学びて時にこれを習う」と読む子がいたら,にっこりしてしまいますね。
日めくりの『教室論語』は完結で良いですね。
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