【横山験也のちょっと一休み】№.3550
三宅先生と一緒に会食をしたとき、同僚の3人の若い先生も一緒にいたので、ついつい軽快に話をしました。
その中の一つの話をしましょう。
算数の中にあるジェンダーの話です。
それは何かというと、分数で使われている用語「分母」と「分子」です。
算数の用語として今日まで「分母」「分子」と使われてきているので、まず、だれもジェンダーへの疑問を持ちません。
私も何の疑問も持っていなかったのですが、小学校の先生をしていたころのことです。家庭への連絡をするときなど、お母さんがいない家庭、お父さんがいない家庭があるから、教室では「お父さん」「お母さん」とは言わずに、「保護者」と言うようにしましょうという流れがありました。
これが契機となり、「分数には、分母のお母さんと、分子の子どもは出てくるが、お父さんは出てこない」と思うようになりました。
そうなると、気になります。
1、分数の中にいてもよさそうなお父さんは、いるとしたらどこにいるのか。
2、分数の中にお父さんはいないとすると、なぜお父さんは分数の仲間になれなかったのか。
その後、ゆるゆるとした探究により、分母分子は中国から伝わった用語と分かり、中国では紀元前のころより用いていることもわかりました。
ここから推測すると、分数そのものが生まれ、日常の言葉として使われるようになった源は、たぶん中国の家庭の中にあるであろうと思えます。家庭と言っても、今の日本のような核家族ではなく、姓を同じにする一族の集団です。かなり大規模です。
農耕の発達が数の発達を後押ししているので、分数も農耕の副産物と考えるのが筋と思っています。また、農耕中心の時代は労働力となる人間が多い方がよいので、子どもも自然と多くなります。
すると、食べ物を分けるときは上手に分けないとトラブルが発生します。だから、中国のお母さんたちは考えたのでしょうね。どうやったら、トラブル無く分けられるかと。そうして知恵として発達したのが、とりあえず平等に分けることで、それから体の大きさなどを考慮して調整をしたのだろうと思います。
その分け方が代々伝えらえれていくときに、用語して、分けているのはお母さんなので分母となり、分けてもらうのは子どもだから、それは分子と中国人にとって表現しやすい言葉に落ち着いたのだと思います。
そう考えると、お父さんの入る隙間はどこにもなかったということになります。これは、お父さんはそういう子どもの世話は焼かずにいたということにもなります。
となると、もしかしたら、お父さんは分数がよくわからずにいたのかもしれません。そうなると、案外、お母さんの方が数理的な能力を高めていたのではないかと考えることができます。
ということで、分数の用語は紀元前の中国家庭の様子の一端を覗くことができる珍しい言葉なのです。
若い3人の先生に、ここまで話すつもりだったのですが、途中で話の流れが変わり、中途半端な話になりましたが、実に楽しいひと時でした。
この話は出てきませんが、下の3冊の本は面白いです。