【横山験也のちょっと一休み】№.3480

土曜日は明石要一先生のSG会に参加してきました。稲毛事務所での参加です。
会の冒頭は明石先生の話題提供から始まります。今回は教育雑誌に掲載された明石先生の御論文でした。その小見出しを見て、少々ハッとしました。

「失敗」と書いて「成長」と読む

この言葉はプロ野球選手の中で私が一番好きだった野村克也の名言として今も伝わっています。

この言葉にハッとしたのは、1月のSG会の懇親会で石井校長が話してくれた標語(けんかして 仲直りして 育つ仲)と通じる質の高い道徳的観点(ものの見方)を持っていると感じたからです。
そう思いつつ、御論文を読み進めていくと、どうも「失敗」というには厳しい事例が出ていました。選挙の立候補を断念した話です。その念が残り今は残念になっていると考えても、失敗とはちょっと遠い位置にあると感じ、なぜ、これを「失敗」に入れているのかを考えました。

そうして、はたと気づきました。
《「失敗」と書いて「成長」と読む》の「失敗」は、常に失敗である必要はなく、断念と置き換えても構わない構造になっています。ですので、《「断念」と書いて「成長」と読む》としてもかまわず、《「残念」と書いて「成長」と読む》としても心のありようとしては大吉になる事ができます。要するに、マイナスの状態になったら、それを言い表す言葉を使って、その後に《「成長」と読む》と続ければよいのです。

今、伊藤仁斎の『論語古義』を読み始めているのですが、SG会の開催日の朝、「賢を賢として色に易え」の訳を読みました。「他人の賢を賢と認めて顔色をかえる。」とあり、これは名訳だと感動していました。

そういうことがあったので、私の顔色が変わったかどうかは分かりませんが、明石先生の賢を深みのある賢と感じることができ、実によい修養になりました。

明石先生は、この3月で敬愛短大を去りますが、SG会はまだまだ続きます。来月の開催も楽しみです。

◆明石要一先生の本『教えられること教えられないこと』