仕事が一段落したので,教育論の本を読み始めたのだが,これがあまり面白くありません。
顔を上げたら,そこに『五経・論語』があったので,それを取り出し,ぱらぱら読みました。
礼記のところで,孔子が仇討ちについて弟子に話しています。親の敵がいるような所へは仕官しないのです。 孔子がこういうのですから,普通の人は敵がいても仕官できるのなら,敵に気付かなかったことにして,まずは飯の心配を無くすことを選んでいたように思えます。面目より飯と考えるのは自然な成り行きです。
そう思うと,孔子は日本の武士道に近い感覚を持っていたようにも思えます。
さらに,パラパラとめくったら,『春秋左氏伝』の初っぱなのページが偶然開きました。
『春秋左氏伝』というのは,今から3000年ほども前のことを記した中国の古典です。その初っぱなから,分数の概念が出てきます。
国の中に邑があるのですが,大きい邑でも,国の三分の一を超えず,中の邑なら五分の一,小は九分の一と昔から決まっていると述べられています。
読んでいる本は日本語訳ですので, 本当に分数が使われていたのかどうか,ちょっと疑問が走ったので,インターネットで調べてみました。中国のサイトです。
運良く,左氏伝を紹介しているサイトと出合いました。
「大都不過參國之一,中五之一,小九之一。」と載っていました。
ただの三分の一ではありませんでした。「三国の一」でした。中国語に詳しくありませんが,分母に単位「国」が付いていると受け止められます。面白い表現です。
一度単位が付いたら,即座に続く所では,「五の一」「九の一」と単位を省いています。これも勉強になります。
省略しても意味が通じるなら,それで良いと考えているのだろうと思えてきます。読み手の補う力を活かした記述とも思えます。
ここに来て,急に日本の古い本が気になりました。
『豊後国風土記』を開きました。700年頃の記録ですので,今から1300年ほど前の作品です。
分数と思える記述は「分両国」とあるぐらいで,国が二つに分かれるという話しです。分数以前の段階です。
左氏伝の「五之一」は,昔からこの広さを超えないのがしきたりで,これを超えると,国が危なくなるとされています。ということは,3000年よりずっとずっと昔から,中国では分数が問題なく使われていたことになります。
昔の中国は算数数学大国だったことが,こんな所からも伝わってきます。
教育論の本は面白くないのですが,また,続きを読みます。つまんないと感じる本を読むことも,面白い本への興味を強める妙な効果があるからです。