b8559_300ちょっと東京で打ち合わせがあり,道中,岩波の『歎異抄』を読みました。
前に読んだ歎異抄と同じようなところで,ちょっとわかりにくくなりましたが,他力本願がとても大切な所なのだということは,今回もよく分かりました。

なぜ念仏をすると良いのか。
その理由を問わずに,念仏することが仏の有り様を信じる心の表れと思い,念仏することが大切なのだと感じています。

この感覚,何とはなくですが,会津の什の掟「ならぬことはならぬものです」に似ています。
どうしてそれがダメなのかと説明しても,十全に説明できるものではないので,そういうものだと教えるのです。
教わる方も,何度もそう教えられると,そういうものなんだと思うようになり,いつしか,そうでないと奇妙と感じるようになります。

ビルのエスカレーターも念仏に近いです。
出来た当時は,皆さん好きに乗っていましたが,いつとはなしに関東では左側にたたずむようになり,お急ぎの人が右側を歩いています。
これも,どうしてそうすると良いのかという説明をしても,なぜ左側に並ぶのかを納得できるように説明するのは難しいです。
不思議なのは,左側に並ぶことを当たり前と思うようになると,それが民度となって形付くということです。

異端を嘆かざるを得なかったのは,もしかしたら,念仏が民度として高まるまでに要する過程が長い産物だったのかもしれません。

さてさて,こういう所が学級を支えている掟や道場感覚につながるのですが,そこについては,また,城ヶ崎先生と話したいと思います。
『歎異抄』は良い本ですね。