宇佐美寛先生の『私の作文教育』に,次のように記されています。
「作文の思考には,このように知覚的側面がある。しかし,この問題については,私はまだ不勉強で明確には書けない。代わりに,次の本を読んでいただきたい。」
と,この後に2冊紹介されています。
「①池田久美子『視写の教育--<からだ>に読み書きさせる』(東信堂,二〇一一年)
②石川九楊『縦に書け!』(祥伝社新書,二〇一三年)」
『縦に書け』は,『視写の教育』同様,実にいい内容です。
この本を読む前の私は,縦に書こうが,横に書こうが,鉛筆で書こうが,キーボードを打とうが,「どれも大差なし!」と思っていました。
縦書きの持っている世界観を知らなかったからです。
無知は,恐ろしいです。
成長できるチャンスを自分でつぶし続けるのです。
この本を読で,私は「縦書きだな」と思い改める気持ちになりました。
幸い,作法関係は縦書きでノートに書いているので,これを一層しっかり進めたくなっています。
この縦書き指向になったのは,「姿勢」「立腰」を楽しんでいる自分に,確かな変化が起きているからです。
普通,座っているときの姿勢なんか,「どうでもいいじゃん!」と思います。
それなりに,見苦しくなく座っていれば,背もたれにもたれていても,それが楽なら,「いいじゃん!」となります。
これも,姿勢の持っている世界観を知らないところから出てくる言葉です。
皆さんの中に,ただ座っているだけでほめられたことがある人,いますか。
そういう人は,極めて少ないでしょう。
「良い姿勢」「正しい姿勢」をほめられることで,外から「良い」とか「正しい」,そういう人としてほめられます。人の評価が,自分を形成してくれます。
外からだけでなく,姿勢を良くしていると,正しい方向に自然と向かう自分が出てきます。
なぜ,正しい観念が生じてくるのか。
それは,姿勢という言葉と体が連動するからです。
良い姿勢をしていると,そのこと自体で「良い」という世界観に自分が包まれます。
正しい姿勢をしていると,そのこと自体で「正しい」という世界観に自分が包まれます。
姿勢を良くすることは,その姿を言い表す言葉によって,自分をじわじわと変えていきます。
姿勢の世界を知っているからこそ,出来る自己変化です。
『縦に書け!』に,次のように書かれています。
「字や文を書くとき,紙は単なるのっぺりとした空間ではなく,天と地を持つ現実の世界を象徴する表現空間になります。」
これを知った私は,姿勢同様の大きな何かを得られそうです。
縦書きを意図的に行い,この世界からも成長をしていきたいと思います。
宇佐美先生の本に引用されている本には,外れがありません。