【横山験也のちょっと一休み】№.2064
◆サイト復旧◆
さくら社のHPが入っているサーバーが攻撃を受けてしばし見ることができませんでした。
それが復旧したようで、今、こうしてブログを書くことができています。
サイトを見に来てくださった皆様には、大変ご不便をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。

◆徳・法・覇◆
ニュースを見ていると、政治家が時々、「日本は法治国家」と語っています。
「法治」というのは、法で治めることです。
似たような言葉に、「徳治」があります。
こちらは道徳で治めることです。
「法治」「徳治」と来たら、もう一つ。
「覇」があります。力で従わせることです。

「徳・法・覇」。
学級を見ていても、この3つが姿を現します。

平素は徳。
あれっとなってきたら、法が登場。
緊急時は覇も辞さず。

これを人の図と絡ませてみます。
覇は力技ですので体とつながります。
法は論理的に組み立てているので頭につながります。
徳は言うまでもなく心です。

こうして、いい形に収まるのは、学級など集団を治めているのが人だからです。
人が人を治めているので、そのあらわれ方も、人の持ち味である頭・体・心とつながります。

クラスのリーダーである先生は、徳・法・覇のどれも使うことができますが、小学校の先生は徳を用います。
法も覇もほとんど用いません。
自然体験的に、法と覇の悪影響を把握しているからです。

法をきつく用いると、人は抜け道を考え始めます。この場合は、あの場合は・・・と。
いわゆる悪知恵を働かせる方向に進んでしまいます。
ひどい場合は、頭を使えば法もかわせると教えていることにすらなります。
悪だくみが進む可能性があるということです。

覇をきつく用いると、言うことを聞いているように見せかけて心が反発する方向に進んでしまいます。
覇が破れたとき、恐ろしい事態が発生しかねません。

また、先生の目の届かないところで、思わぬことが起こることも、先生は知っています。
先生がクラスでしていることを、子供が別のところで真似することです。
法を強く用いれば、小さい子を法で縛り始めます。
覇を強く用いれば、小さい子を強い覇で従わせます。
困った事態が広がります。

ところが、嬉しいことに、徳を用いれば、小さい子にも徳で触れ合おうとします。
徳が徳を呼びます。
有り難いこととなります。

こういったことを感覚的に身につけているのが小学校の先生なのです。
今も、たくさんの小学校の先生を友達にとして持てていることに感謝の念が湧きます。

こういう大まかな考え方は、「論語」に出てきます。
日めくりの『教室論語』を毎日めくるだけでも、私にはいい感触が伝わってきます。
教室の先生の机の上に置いてほしいですね。

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