【横山験也のちょっと一休み】№.3636

NHKの「チコちゃんに叱られる」に明治時代の通信簿の画像を提供しました。チコちゃんからの疑問解決で、明治時代に「品行簿」があり、その品行簿は通信簿とは違うのだよ、という比較材料で使われました。

その通信簿がこちらです。
明治37年の上田男子尋常高等小学校の尋常科2年生の通信簿です。

上田男子尋常高等小学校に尋常科があったということは、今風に言えば、中学校の中に小学校が併設されていたということになります。

なかなかいいなぁと感じるのは、所見が無いことです。今の通知表には所見欄が当たり前としてありますが、明治のころには無かったようです。
昭和13年、要録に所見を書くことが始まりました。どこのどなたか存じませんが、審議委員会などがあり、その席で「所見を載せましょう」と力説した偉い人がいたのだと思います。でも、通信簿は各学校、各地域で作っていったので、昭和13年以前に所見欄を設けている学校もありました。

算数好きの私が注目するのは、欠席日数の表し方です。
1学期は「0」
2学期も「0」
3学期は「五」
ゼロはアラビア数字。他は漢数字。漢数字とアラビア数字を併用しているところが、なかなか面白いです。

明治時代の中ごろのことですが、漢数字の表し方に簡略タイプが登場しました。それまで「三百四十八」と、百や十を書いていたのですが、西洋の「348」という書き方を真似して、百や十を欠落させて「三四八」とかいて表すことが広がりました。この時、304などは、「三0四」と漢数字アラビア数字混用をしていたのです。それが、通信簿のような表し方につながったのでしょう。数表記の変節の一こまを見た気持ちになりました。

チコちゃんの番組に出てきた資料はどれも面白く、ためになりました。良い内容でした。