【横山験也のちょっと一休み】№.3563

家の中を少し整理していたら、「研究の論理」という宇佐美寛先生が御講演をされた内容を起こした冊子が出てきました。
1984年10月31日、筑波大学教育学研究会での講演です。聞き手は院生です。

3ページ目に次のように記されています。
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論文の「はじめに」のところには、シーシス(thesis)を書くのです。つまり「テーゼ」です。この論文は、一言でいえば、どんな新しいことを主張するのかを、ずばりと書くのです。それがはっきりしない論文は、たいしたものではありません。
ところが、君たちの「論文」の「はじめに」は、何だかわかりません。なぜ、「はじめに」という部分があるのでしょうか。これを君たちに聞きたいです。
おれは、何を問題とするか、何を学界で初めて主張するのかということを、ずばりと書くべきです。腹が問われるわけです。
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若いころに、宇佐美先生から、直々にこのような主張を学んできました。
お陰様で、私のような力の足らないものでも、微細なところではありますが、新しい主張をしてきました。

思い出深いのは、算数の指導要領の記述に影響を及ぼした「デシリットルはやめよう」という論文です。この論文の大きな主張は2年生学んでいるデシリットルをやめ、代わりにミリリットルを教えようというものです。その主たる理由は、生活の中にミリリットルはたくさんありますが、デシリットルは無いからです。
この論文を出して、数年後の指導要領の改訂で、デシリットルは変化なく教え続ける形になりましたが、ミリリットルは当時6年で教えていたのですが、それが一気に2年生に降りてきました。
影響を与えた論文だったと今も思っています。

また、わり算の筆算に親しみが湧いてこない子どもたちがたくさんいる現実を見て、「スイートポテト」というアイディア教材を作り出しました。これには、教材を算数目線だけで見るのではなく、子どものフィット感を加味して考えるべきという、私なりの主張が込められています。

明日は、「宇佐美寛先生を偲ぶ会」です。
この宇佐美先生の資料を持っていこうと思っています。
きっと、誰かの胸を打つと思うからです。