【横山験也のちょっと一休み】№.2620

■ 「国語の読み」と「道徳の読み」の違いが端的に示されている! ■

先日、木更津技法研に参加してきたのですが、野口先生にご教授いただきたいことがあったので、最後の最後に、その話をしました。

『教育と授業』の野口先生の御論文に、次の通り記されています。

「文学」の受けとめ方としては浅いと私は見る。「感情移入」に欠ける。作品の外側から、冷やかに、傍観者風に、道徳的あるいは教育的に裁く姿勢が気になる。「人間理解」に欠ける、文学的認識とは遠い。私はそのように評価する。(p164)

ここを読み、私は驚愕しました。
「国語の読み」と「道徳の読み」の違いが、端的に示されていたからです。

道徳と国語の授業の迫り方の違いも、この部分を読めば察しが付きます。
(すぐにわからない先生は、『教育と授業』のP162から読まれると、グッとくるでしょう。)

上記引用部分を読み上げ、野口先生に、「一言、二言、お話を頂けたら・・・」とお願いしました。
すかさず、野口先生は実感されていることを話してくださいました。
『武蔵野婦人』などの話も飛び出すほど、内容の濃い話でした。
急ぎ、本の164ページにメモしました。
そうして、最後の最後に野口先生が、「人間って面白なぁと感じるのが文学」とお話くださったことが、印象的でした。

22日(日)の「さくら社創立10周年記念セミナー」には、道徳も国語も好きという先生がたくさん参加されるので、懇親会などでこんな話題も語らえたらと思っています。

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