宇佐美寛・池田久美子 共著 15.7.7 発売
1 口頭でのやりとりに限定されている。文章を読み書きする方法は排除されて いる。
2 学生には質問させない。
3 学生に考える時間を与えない。考えるのを保留して考える自由は無い。
4 何を考え、何を考えないかの制約条件は氏が一方的に決める。
マイケル・サンデル氏の教育実践「ハーバード白熱教室」で謳われる「対話」。
しかしそこでは学生の自由な思考が禁じられ、賑やかな「反応」だけが求められる…。それは根源まで考え抜く力を鍛えるべき哲学の授業として、適切なのだろうか?
外国の「偉い」思想家の言に容易になびく「知的植民地根性」を指摘し、単なるサンデル批判に留まることなく教育方法についての無知・無自覚への反省を促す、骨太な教育論。
■もくじ
はじめに
序論(導入)
第一章 考える自由 ――これは尋問だ
第1節 私はどう授業したか
第2節 比較する
(1) 口頭で語る/紙に書いて示す
(2) 質問させない/質問させる
(3) 考える時間を与えない/考える時間を十分に与える
(4) 制約だらけ/自由だ
第3節 これは尋問だ
第4節 考える自由が奪われている
第二章 問いの正義 ――教師の問いを疑わせよ
第1節「どちらか。」では、だめだ
(1) 定量性が無い
(2) 多元性が無い
第2節 構造の正義を問え
(1) 殺人は、殺人だ
(2)「死ぬのは電車が原因」か
(3) 運転手だけの責任にするな
第3節 正義を問う資格が有るか
第三章 例の悪用 ――実は思考封じなのだ――
第1節 責任回避のための例
第2節 例の濫造
第3節 自分を隠すための例
第四章 学習活動の構想 ――発言は要るのか――
第1節 考える時、話は途切れる
第2節 対話は何を思考させるのか
第3節 ゆっくり読ませる
第4節 ゆっくり書かせる
第5節 メタ対話が要る
第五章 学生の自己 ――反射的に答える学生でいいのか――
補論
あとがき
著者紹介
索引
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