■2 これから必要とされる能力とは
前田 『ドラゴン桜2』の中で、人格のことを言われる場面が出てきます。東大に受かる者は人格が大事だ、入試は人格で決まる、といった場面がある。この、みずから人格を磨くことが合格の礎だと言うってところが、私には非常に印象深かったんです。これはやはり、自分で努力をしていくような、そういった人間性が求められていると解釈していいのでしょうか。
佐渡島 そうですね。受験って、短い人で1年間くらい、長い人は3年間くらい努力しないといけないわけです。そんな長期間努力し続けるって、人間力が磨かれていない限りできないんですよ。他人からのアドバイスを素直に聞き入れたりしない限り、成長もしないし自分のことも振り返られない。そう考えると、受験って人間力を高めるための、ちょうどいい具合のストレスなんじゃないかとも思いますね。
前田 よくわかります。私は今、地域づくりだとか町づくりだとか、社会をよくしていこうという運動に関わっていく上で、いろんな方との付き合いが増えたんですけど、そういう運動に関わっている方って、みなさん、驚くくらい高学歴なんですよね。高学歴で人間力が高い方の価値観が今、同じ方向に向き始めているのかもしれませんね。
『ドラゴン桜2』では、アウトプットしたほうがいいということも書いてありますよね。あれも、本当にそうだなと思わせられます。実は今、私の住む熊本市の教育委員会は、アウトプット型の学習にしようとしています。学びっぱなしではなくて、
学んだことをなんらかの形でアウトプット=出力するように、学習の形を変えようとしているんです。
佐渡島 今までの学習というのは、履修型なんですよね。履修したらOK、そこにいて出席していることが大事だった。しかし習得型に変化していけば、どこで受けてもいいし、ましてやすでに習得している人は受けなくてもいい、というふうになっていくのではないかと。
で、そのときに重要なのが、アウトプットではないかと思うんです。アウトプットと言うと、何か意味のある成果物だと思われがちなんですが、そうではなく、発信なんです。自分の考えを発信すると、外部の人が反応しますよね、そこが大事なんです。
日本では、発信に対してフィードバックをもらうと、みんな怖がってしまう。一方で、欧米型の教育を受けると、発信に対してのフィードバックにすごく慣れていく。日本でも、これからはそういったものが教育の中に入り込まれてくるべきではないかと。
前田 そうやってどんどん変化していく先が見えない社会の中では、他にどういうことが必要だと思いますか。
佐渡島 まさにその、変化に対応する力。それはすなわち、先ほど話に出た「学び方」だと思うんです。学び方さえ知っていれば、どんな変化にも対応できる。学び方を知って、自分は変われる、変わり続けられるという自己認識を持てていれば、変化すること、先が見えないことがむしろ楽しいこととして感じられるのではないでしょうか。
実は、変化を恐れているのは先生の側なのかもしれない。いま、子どもたちのなりたいものって、YouTuberとかeスポーツの人だというじゃないですか。子どものほうが未来の仕事を理解していて、僕なんかはとてもいいなと思ったんですけど、それに対して多くの大人たちは、嘆かわしい状況だと言う。でも、いや、その大人の認識のほうがズレているのではないかと。
学習指導要領の改訂も、全体として非常に正しいことを言っているんだけれども、その文章が、わかりにくい、伝わりにくいものになっているという矛盾を感じます。
今般の入試制度改革もそうで、いい方向への改革なのに、大人の側、教育関係者の側が変化に対応できていない。これまでのあなたたちのティーチングを捨ててください、ファシリテーターにならないといけませんよ、と言われたときに、これまでプライドを持って磨き込んできたものを捨てる覚悟というのが、まだ教育界全体にはないですよね。
前田 核心をついていると思います。私の住んでいる熊本市は、昨年からiPadを各学級に導入しています。すると、今までのスタイル――先生が黒板の前に立って問いを出して、わかる子がはいと手を挙げて、先生はそれを当ててその子が言ったことを黒板に書く――といった、先生が答えを持っていて、知っている子は答えるという形の授業は成立しなくなってくるんです。
佐渡島 そうですね。そうなると先生がすべきことは、それぞれの生徒の特質を見ることなんじゃないか。君はAパターンなのかBパターンなのかを見極めたり、疲れているなとかちょっと飽きてきているんじゃないのとか、そういう、機械では気付けない、一人ひとりの人間を見るという行為をしなければならなくなりますよね。
でも、ではそういうお互いの状態に対してフィードバックをし合うような形のコミュニケーションが、今の大人の社会でできているのかと言うと、実はほとんどできていないのではないでしょうか。
役所でもそうですよね。文部科学省は、学習指導要領の改訂によって、他人に対してどう変わらなければいけないのかということをすごく的確に示してはいる。でも、じゃあ文科省が変われているのか、霞が関が変われているのかと言うと、全然変わっていない。意思決定の手順しかり、働き方改革しかり。そう考えていくと、別に教育界だけの問題じゃなくて、本当に全業界、日本全体で起きてる問題ではないかと思いますね。