■3 これからの教師の仕事
前田 『ドラゴン桜2』で私がとても好きなところがあって、それは、近代以前の日本、江戸時代の寺子屋の時代というのは、すごくオープンだったと。そのオープンな環境の中で、子どもたちが学べていた。それが明治維新を経て、富国強兵の要請やヨーロッパ型の教育の導入の中で、今に繋がる一斉指導的なのが完全に定着してしまったというくだり。これ、本当にそうだよなと強く思ったんです。
佐渡島 日本って、今まで一通りのやり方だけだったんですよね。例えばアメリカだと、人種も違う、文化も違う、本当にちょっとしたことでもまったく価値観が違う人たちの集まりなので、ちょっとした決めごとをする場合でも、協議をしてルールを決めて進んでいくということが、当たり前に発達しているんだと思います。
日本だとこれまでは、似たようなところに住んで、みんなある程度同じだと思っていた。それが、ネット時代になってSNSも出てきたときに、実は全然違うよねってことがわかってきた。外国人もたくさん入ってきた。そうなると、違うコミュニティーの人たちと話し合って、お互いの歩み寄りのポイントを見つけていかなければならない。そこが、これからの日本が直面していく課題じゃないでしょうか。
前田 確かに。一方で佐渡島さんは、現在の学校教育を完全には否定しない。やはり、今の学校のよさみたいなものも、佐渡島さんには見えておられるんでしょうか。教師の仕事について「感情労働」という言い方もなさっていましたよね。
佐渡島 教師って、生徒に寄り添って、相手が納得する答え、正解ではなくて納得解を見つけるのに付き合う仕事でもありますよね。正解がないこと、すごく変なことに対しても、うんうんって聞き続ける、そういうタイプのスキルが必要とされる。そこってまさに、コーチングとかファシリテーション、つまり、これまで話してきた、これからの教師において必要とされる能力じゃないかと思うんです。
これまでの教師の間では、ティーチング、おそらくこれからはなくなるであろう仕事のほうがかっこいいとされていた。コーチングやファシリテーションの能力が高い人に対しては、「あの人は子どもを甘やかしている」なんて言って、少し低く見ていたのではないかなぁと。でも今後は、まさにそういう能力が重要なんじゃないかと思うんです。
そういう先生と生徒との感情の交換、それを私は感情労働と呼んだのですが、そういうものに対して、もっとスキルとしてしっかり認めて、蓄積していくべきではないかと。
前田 リクルートが提供している、ネット授業のスタディサプリってありますよね。教え方のうまさという点だけで言えば、そこらの教師よりも、あちらのほうが質が高いわけです。つまり、今までの先生のティーチング能力、教え方がうまいとか伝え方が素晴らしいとかいうことが、全部動画に置き換えられてしまう。
では、そのときに教師がやらなくてはいけないこととはなんだろう、と。それはたぶん、佐渡島さんがおっしゃったような感情労働的な部分、あるいはファシリテーションやコーチングと呼ばれるものということになるのでしょうね。
佐渡島 そうですね。先生の仕事というのは本来、生徒が学習する、何かを習得するというときに、そのサポートをする、もしくは人間的に成長することをサポートする仕事だと思うんです。なのに、多くの先生方が目的と手段をはき違えてしまっているのではないか。本来ならば、人間的に成長することの手段として、社会で必要とされる教科を習得するはずなのに、教科の習得が目的化してしまい、そのための授業をうまくできるのが「いい教師」になってしまった。
ところが、教科を習得するに際して、内容については別に先生が教えなくていい、ほかにもっといいものがあるということになれば、一番いい習得法、学び方を教えてあげることが先生の役割、ということでもいいのではないか。それが、最終的に生徒の人間性を磨くことに繋がるのなら、むしろそのほうがいいのではないか、と思います。
前田 なるほど。ところで、私はこの「まんがで知る」シリーズについて、佐渡島さんが評価してくださっているということを聞いてからモチベーションがぐっと上がりました。具体的にどういった点がよかったのでしょう?
佐渡島 伝えたいことが明確で、それがきちんと整理されていたからでしょうか。マンガって本来は、伝えるための手段なんですよね。文章だけの本よりも、絵があってセリフもあって、情報量が多い。だからこそ、伝えたいことが容易に伝わるわけです。ところが多くのマンガ家にとっては、マンガを描くこと自体が目的化してしまっていて、何を伝えたいかが不明瞭になってしまっている。
前田 なるほど。例えば最初に描いた『まんがで知る 教師の学び』についていえば、学会なんかでは当たり前になっていることが、現場の先生には案外知られていないということがよくあって、それを伝えたいなと思ったときに、マンガという表現を使うということを思いついて、ああいう形に行き着いたんですよね。
佐渡島 その「学会の最先端の理論」を、ただマンガにしようとお考えになっていたら、面白くなってはいなかったと思うんです。でも前田先生の中には、「その理論がなぜ知られていないんだろう」という思いがあって、それをしっかり伝えるために、情報を整理された。だからこそ、誰にでも伝わるものに仕上がったのではないでしょうか。
前田 なにせ私はマンガについてはド素人なもので、当初、描き進めていくにつれてだんだんへこたれそうになったんですよ。そのときに担当編集者が、書店の教育書のコーナーに私を連れ出して、「前田先生の本はここに並ぶんです。コミックコーナに並ぶんじゃないですよ」って言ってくれたんですよ。そこで意識がガラッと変わった。今考えれば、そうした形で著者のモチベーションを上げるっていうのも、編集者の仕事なんでしょうか。
佐渡島 そうだと思います。でもそれって、まさに先ほどからお話している「これからの先生の役割」という部分と同じなのではないでしょうか。だって、実際に勉強するのは生徒なわけです。先生の仕事は、生徒ひとりひとりのモチベーションのスイッチがどこにあるのかということを観察し、そして適切な場所で声掛けをすること、ですよね。
前田 なるほど、編集者の仕事というのも、まさにコーチングとかファシリテーションに近いものであると。
佐渡島 そうです。同じだと思います。実は僕もこれまでは、マンガ家を育てるときにはティーチングでやってたんですよ。一対一の関係で、作品を持ってきてもらい、「ここはこうじゃない、駄目だよ」と言ってダメ出しをしていた。それが編集者の仕事だと思っていたし、業界でもそう思われていた。
でも今は、マンガ家を中心にチームを作ってもらって、そこで互いに教え合いをしておいてもらうんです。僕は、その教え合いのなかで出てくるみんなの発言を眺めておいて、「あなたは次にこれやってみたらどう?」と、よりモチベーションが出るような声かけをする。そういうやり方に、自分の仕事を変えていっているんですよ。
前田 非常に面白いですね。
佐渡島 だから、今日お話をしていて、教師の仕事の変化と編集者の仕事の変化って、実はまったく同じなんだなと感じました。僕がそういうふうに変えていこうとしていると、周りからは「編集者を放棄してる」って言われることもある。でもそうではないんだと。これからの編集者の仕事はそうなっていかざるを得ないんだよ、と僕は思っているわけです。
前田 それ、非常によくわかります。そのあたりのことを、教師もどのように認識し、変えていくかということが、これから先の教育改革の一番大きなところ、大切なところになってくるのでしょうね。この先の教師の仕事のあり方がますます楽しみになってきました。
本日は大変貴重なお話を本当にどうもありがとうございました。
(了)
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